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2014年11月9日日曜日

石油貯蔵タンク火災の消火戦略 - 事例検討(その2)

 今回は、 「A-CERT」(シンガポール企業緊急対応チーム協会)がまとめた「Storage Tank Fire Fighting Strategies」(貯蔵タンク火災の消火戦略)の中で事例検討として行われた「フェザンのLPGタンクの爆発・火災事故(1966年1月)の資料を紹介します。
(写真はAccidentsoilandgas.blogspot.jpから引用)
< 概 要 >
■ 1966年1月4日、フランスのフェザンにある製油所でLPG球形タンクの爆発・火災事故が起こった。事故は、製油所のオペレーターがLPGタンクのドレン抜出し作業中にバルブが閉止できず、LPGが大量に漏洩して始まった。漏洩したLPGはベーパーとなって分散し、一部が構外の県道を通りかかった乗用車の熱くなったエンジンによって引火した。

■ タンクが破裂してBLEVE(沸騰液膨張蒸気爆発)現象が起き、まわりにあったLPGタンク4基が損壊した。さらにジェット燃料や原油の入った常圧式貯蔵タンクにも延焼し、製油所は大きなダメージを受けた。

■事故の発端は、ドレン弁の操作が適切ではなかったちょっとした人為ミスだった。プラント配置の欠陥、設備の健全性の配慮不足、標準作業手順書の不適切、教育・訓練の不足といったことが、可燃性ガスへの引火、爆発、火災事故の要因となり、場合によっては大きな災害へ至ることがある。今回取り上げた事例は、LPGタンク施設に関する法令改正へ影響を与えた事故だった。

< 事故の状況 >
■ 製油所のオペレーターが、LPG球形タンクのドレン抜出し作業中にバルブを閉止できなくなった。これは排出中にバルブが氷結してしまったからである。このため、大量のLPG(プロパンとみられる)が漏洩した。漏洩して分散したLPGベーパーは、一部がタンクから50~60mのところにある県道を通行中の車によって引火し、爆発を起こした。漏洩のあったタンクを含めて複数のタンクが火災によって損壊した。

■ ドレン抜出し作業とは、LPGに含んでいる重質分を貯蔵中のLPGから分離することである。重質分はタンクや配管などの容器の底部に溜まっていく。当該事例だけでなく、軽質炭化水素やLPGでは、水の凝縮や水の混入はよくある。LPGでは、氷結あるいはハイドレートが生成することは少なくない。
 LPGは、液化石油ガス(Liquefied Petroleum Gas)の略で、LPガスと呼ばれることもある。パラフィン系炭化水素のプロパンやブタンが主であるが、オレフィン系のプロピレンやブテンなども含む。

■ 事故の経緯は「事故の概略経緯表」を参照。タンク地区の配置は図1を参照。

 事故の概略経緯表
日時                         事 象
1月4日
06:30     LPG球形タンクのドレン抜出し作業を開始。
06:45     作業を終了。ドレン弁を閉じようとしたが、バルブを閉止できなかった。
07:05頃    製油所構内の警報が鳴った。おそらくガス検知器によるものとみられる。製油所の消防隊が
         消防車で出動した。ほぼ同時刻に、製油所のそばを通っている高速道路の交通遮断が
         行われた。しかし、並行して通っている県道の交通遮断は行われなかった。
07:30     県道を1台の乗用車が走行した。そのとき爆発が起こり、ほとんど同時に漏洩を
         起こしたタンクが炎に包まれた。
08:45     隣接していたLPG球形タンクが爆発した。
         さらに、LPG球形タンク1基と油タンク1基が火災となった。
1月5日
 ー      発災の翌朝になって火災は収まった。
図1 発災タンク地区の配置
LPG球形タンクのドレン抜出し配管図
(図はAria.developpement-durable.gouv.fr ら引用)
< 事故の原因 >
■ 漏洩の原因はドレン抜出し中に極めて低温になったことによるとみられる。タンクのドレン抜出し作業中にフラッシュ蒸発によってLPGの温度が下がったため、湿分が氷結したものと思われる。このため、球形タンク底部のドレン弁を閉止できなくなったと考えられる。

■ 引火源は県道を走行していた車のエンジンだったとみられる。

■ LPGタンクの爆発は、あとでBLEVEと呼ばれる現象だった。タンク上部の鋼板部分が火炎に曝され、その部分の温度が上昇し、強度が落ちてゆき、最終的に破裂に至った。破裂部から噴出したLPGベーパーが火炎によって引火し、爆発を起こした。
BLEVE事象へ至る状況
< 事故後の改善策 >
■ バルブの氷結を回避するには、つぎのようにすべきである。
  ① バルブを二重化する。二重化したバルブとバルブの間は適正な長さをとる。
  ② 適切なバルブ操作の教育と訓練を実施する。

■ LPGタンク施設の改善策はつぎのとおりである。
  ① 防液堤を設置し、漏洩したLPGの分散を抑制する。
  ② タンク上部への水噴霧設備を設置し、LPG液レベルより上のタンク・シェルを冷却して壁温が過熱しないようにする。
  ③ タンク支柱を耐火構造とする。
  ④ タンク間に適切な距離をとる。

■ タンクの設置場所は適切な位置とする。特に、公道との距離、人々が集まる公共施設との距離に配慮する。

< 教 訓 >
■ LPGは、火災の危険性のある軽質炭化水素の中でも、最も危険性の高い物質であることがわかった。LPGの危険性が高い理由はつぎのとおりである。
  ① 極めて低い温度でベーパー化し、ガス比重が空気より重いため、地表に沿うように流れていく。
  ② LPGは無色・無臭のため、漏れている状態が極めて確認しずらい。

■ 危険性の高い物資を貯蔵するには、十分に配慮した施設にする必要がある。その上に、安全性を十分に確保した距離をとる必要のあることがわかった。

< 教訓の背景 >
■ 漏洩の原因はバルブ操作のミスだった。ドレン弁は複数になっており、2個設置されていた。LPGがフラッシュすると、蒸発熱によって温度が下がり、氷結あるいはハイドレートの生成が起こる。このため、バルブが閉止できなくなるが、あとで溶けて、タンクからLPGが放出してしまった。
 上流側バルブと下流側バルブは完全に開いていた。両バルブとも低温状態で凍結していたとみられ、閉止することができなかった。二つのバルブは隣接して付いており、第2バルブの低温状態が第1バルブへ伝播する形になった。

■ 製油所構外の道路に関する交通規制が十分でなかった。問題点は二つあり、ひとつは製油所の配置の問題で、LPGタンクの設置されている場所と公道までの距離が50~60mしか無かった点である。もうひとつは、地方自治体と住民間の情報伝達が不十分だったことである。

■ 爆発はBLEVE現象だった。タンク下部の温度はそれほど高くなっていなかった。というのは、タンク下部にはLPGの液が存在しており、火炎から吸収した熱はLPGの蒸発熱として消費された。一方、タンク上部にはLPGの液が無く、火炎に曝されたタンク壁は非常に高い温度になった。このため、鋼製のタンク壁の強度が低下し、タンク内圧に耐え切れず最終的に破裂に至った。被災範囲が広がった要因は、タンク間の距離が十分とられていなかったことにある。

■ 火災は隣接の球形タンク群へ広がった。球形タンクの支柱(脚)は鋼製で、耐火構造ではなかったので、支柱の強度が高温で低下し、タンクは転倒して壊れた。隣接のタンク間距離は短かった。現在ではこのことはよく理解されているが、当時は認識されていなかった。この事故を契機にBLEVEに関する研究が行われるようになった。
(写真は左:Accidentsoilandgas.blogspot.jpおよび右:Tamagozzilla.blogspot.jpから引用)
(写真はAccidentsoilandgas.blogspot.jpから引用)
補 足        
■  「A-CERT」(Association of Company Emergency Response Teams (Singapore):シンガポール企業緊急対応チーム協会)は、シンガポールの企業で異常事態が発生した際に適切な対応が行なうことができるように設立されたCERT(Company Emergency Response Team企業緊急対応チーム)をまとめた団体である。

■ 「フランスのフェザンにある製油所」とは、フランス南部リヨン市(Lyon)の郊外の町フェザン(Feyzin)にあるフランス国立石油会社のエルフ社(Elf:現在のTotal)のフェザン製油所で、精製能力40,000バレル/日で1964年に操業した。

■ 「フェザンLPGタンク爆発火災(1966年)」は、小さな人為ミス(ヒューマンエラー)が巨大な災害をもたらした事故として、またLPGの持つ危険性の大きさを示す事故として世界的によく知られている。この事故では、死者18名、負傷者31名の被災者が出ている。日本で総括的にまとめられたものとしては「フランス フェザンのLPGタンク爆発火災」(小林光夫・田村昌三、失敗知識データベース・失敗百選)がある。

LPGドレンバルブの開閉のイメージ
(図はSozogaku.com ら引用)
■ 防災活動の事例として考える上で、当時の状況について理解しておくべき事項はつぎのとおりである。
 ① ドレン抜出し配管は呼び径2インチで、バルブは2個直列で二重化されていた。ドレン抜出し作業終了後、第1バルブを閉めようとしたが、全閉にできずにLPGが流出を始めた。(第2バルブの操作については不明) オペレーターは3名いたが、3名はLPGベーパーに包まれ、ふらつきながら現場から離れたという。
 LPGのドレン抜出し配管は氷結を考慮し、通常、2個直列の二重化バルブにされる。ドレン抜出し時は第1バルブを全開にし、下流側の第2バルブ入口側を加圧する。つぎに第2バルブを微開から徐々に開度を開け、流量を調整する。この際、第1バルブを全開にしないで、圧力差をつけると、第1バルブ出口ではぼ大気圧になり、温度降下によって温度低下して氷結するため、このような作業は絶対に行ってはならない。

 ② 隣接する公道の交通遮断を行なったのは、製油所の自衛消防隊(守衛)である。高速道路をすぐ交通遮断しているが、なぜ県道を遮断しなかったかは不明である。なお、当時はLPGタンクと自動車専用道路の距離が50m以上あれば、認められていた。

 ③ LPGタンクは液でなく高圧ガスの貯蔵であり、当時、防油堤は設けなくてよかったので、LPG流出時の拡散を防ぐ防液堤は無かった。

所 感
■ 事例検討はディスカッション形式で行われているが、当該事例には「事例検討のポイント」の記載がなく、議論の内容はわからないが、企業マネジメントとしてドレン抜出し作業や初期対応について話し合われたものと思われる。
 
■ 「消火戦略」の観点からは、圧力タンクの火災は3つの戦略のうち「積極的(オフェンシブ)戦略」をとることはできず、講義で言及されたつぎのような圧力タンク火災に対処するための戦略的思考について確認されたと思われる。
 ● 冷却を基本とし、両サイドから冷却する。
 ● 冷却作業の位置として円筒端の方からは避ける。
 ● 液レベルより上部を冷却する。
 ● ウォータカーテンを実施し、火炎衝突からの影響を軽減する。
 ● BLEVE(沸騰液膨張蒸気爆発)の発生に留意する。

■ LPG球形タンクの火災事例としては2011年3月11日の東日本大震災時のコスモ石油千葉製油所の事故が記憶に新しい。このブログでも「東日本大震災によるタンク被災(海外報道)」(2011年5月)の中で取り上げた。この爆発・火災事故の消防活動については「東日本大震災時のLPGタンク火災・爆発事故における防災活動」(危険物保安協会機関紙「Safety & Tomorrow」2012年5月)に掲載されている。この資料によると、つぎのような現場における貴重な経験(知見)が示されている。
 ● 消防車による球形タンク冷却散水が可能な場所を決めるため、現場確認をしていたところ、球形タンク安全弁の吹く音と普段聞き慣れない音がするのを確認、爆発のおそれを感じ、全員退避を指示。
 ● 大容量泡放射システムを使用しないことを指示(海上からの冷却散水等により火災を制圧できると判断)
 ● ヤード警戒区域で可燃性ガス濃度が上昇したため、消火活動停止の指示。約40分後、可燃性ガス濃度が低下したため、消火活動再開。
 ● タンクの残液の気化速度をさらに上げ、すべて燃焼させるため、海水散水から温水散水に切り替え。
 ● タンクの残液が少量となったため、燃焼を管理することが難しくなり、消火してのガス拡散へ戦術の変更を決断。

備 考
 本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
  ・Acerts.org.sg, Storage Tank Fire Fighting Strategies, A-CERTS, September, 2012



   出光徳山製油所FCC装置付近の解体状況20141030日)
後 記: 久しぶりに新幹線に乗る機会がありましたので、出光徳山製油所の解体工事の状況を車窓から眺めてきました。流動接触分解装置(FCC装置)の主要塔槽類はすっかり無くなりました。
 ところが、工場閉鎖の話はこれだけでなく、先日、周南コンビナートの東端にある帝人徳山事業所が2017年3月末に閉鎖するというニュースが発表されました。帝人徳山事業所は、フェザンのLPGタンクの爆発・火災事故(1966年)のあった3年後の1969年に操業を開始し、ポリエステル繊維などを生産していました。事業所のおよそ100名の従業員は、別の工場への配置転換などをして雇用を維持するということです。寂しいことです。しかし、地方創生を掲げている安倍首相選挙区の山口県で逆に流れているのは皮肉なことですね。 

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