2017年5月11日木曜日

米国フィラデルフィア製油所のタンク火災で消防士8名死亡(1975年)

 今回は、1975年8月17日、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるガルフ・オイル社の製油所で起った原油貯蔵タンクの火災事故から消防活動中に消防士8名が死亡するという事例を紹介します。
< 発災施設の概要 >
■ 事故があったのは、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるガルフ・オイル社(Gulf Oil Co.)の製油所である。製油所の当時の精製能力は180,000バレル/日だった。

■ 発災があったのは、フィラデルフィア製油所の貯蔵タンク地区にある石油貯蔵タンクである。貯蔵タンク地区に設置されていたタンクは約600基だった。発災のきっかけになったのは、容量75,000バレル(12,000KL) で内部浮き屋根式の原油用貯蔵タンクである。
                           現在のフィラデルフィア製油所付近   (写真はGoogleMapから引用)
< 事故の状況および影響 >
事故の発生
■  1975年8月17日(日)午前6時頃、容量12,000KLの原油貯蔵タンクが、スクールキル川の桟橋に着桟していたオイルタンカーからの荷揚げを終えた直後、引火して火災となった。発災から2・3時間後には、制圧下にあると思われた火災が息を吹き返したように勢いを増した。現場では、多くの消防士が決死の活動を行なっていたが、その後、火災は拡大して大災害となった。

■  8月17日(日)真夜中の午前12時45分頃、フィラデルフィア製油所の桟橋に停泊していたオイルタンカー“アフラン・ネプチューン” は製油所への原油の荷揚げを始めた。原油はナフサを5%加えられたベネズエラ原油で、貯蔵タンクNo.231に移送された。

■ このタンクは1929年に建設されたリベット接続式で、第4ボイラーの近くに設置されていた。ボイラーには、レンガ造りの高い煙突があった。タンクと煙突はペンローズ・アベニュー橋に近かった。煙突には、白色で「GULF」と大きな文字が書かれており、フィラデルフィアのひとつのランドマークになっていた。

■ 8月17日(日)夜明け前に、貯蔵タンクNo.231はオイルタンカーからの荷揚げで一杯になった。さらに原油が入り続け、タンクのベントから炭化水素のベーパーが放出され、タンク外の空気中を漂い、ボイラー室の近くに溜まっていった。明け方近く、炭化水素のベーパーに引火し、フラッシュファイヤーが起った。炎はベーパーの跡をたどってタンクNo.231の方へ向かった。そして、タンク上部で大爆発が起った。時間は太陽が出始めた午前6時頃だった。

■ それから、火のついた油がタンクまわりの防油堤エリア内に流出したので、タンクNo.231で2回目の爆発が起った。さらに、タンクNo.231の防油堤内には別な貯蔵タンクNo.114があり、このタンク系統に延焼した。最初の爆発によってタンクに付帯する配管マニホールドが損傷を受けて、油が噴き出し、それに着火したものである。

■ 1回目のタンク爆発が起った直後に、フィラデルフィア消防署に最初の通報が寄せられた。ただちに消防隊が出動して現場に到着したときに眼にしたのは、火災になった2基のタンクから噴き上がる黒煙の巨大な雲だった。ボイラーに付帯する高さ150フィート(45m)のレンガ造りの煙突は基礎部から縦方向の割れがあり、火災になっているように見えた。
火災の状況
ペンローズ・アベニュー橋付近(左写真)、ボイラー煙突付近(右写真
(写真はPophistorydig.com から引用)
■ 消防隊は泡消火剤と消火用水を使用して火炎と戦った。午前9時頃には、なおも燃え続けていたが、消防隊は火災を制圧できると思っていた。しかし、現場ではいろいろな問題が生じ、破滅的な状況を迎えることになる。

■ 製油所の排水系統が適切に消火水と油の混合液を排出できなくなり、現場の地上に溜まり始めたのである。さらに、この地区の架空電線の危険性を懸念して、製油所にある何台かの排水ポンプが接続されている電源系統を遮断してしまった。写真を見て分かるように、現場は排水が溜まり続けた。
タンク火災に対応する消防隊員
(製油所排水系統が排水を吐け切らず、足元に溜まった消火用水)
(写真はPophistorydig.com から引用)
■ 消防士3名が、消防車No.133と資材のある場所から排水の溜まったところを渡っていた。そのとき、突然、閃光が発し、“水”が燃え上がった。このとき、フィラデルフィア消防長官とガルフ社の製油所長が近くの歩廊の上で消防活動を観察している最中で、この恐ろしい状況を目撃していた。3名の消防士は燃える水の中で窮地に陥っていた。消防長官はかろうじて最初の爆発時に脱出し、振り向くと、「炎が3人を巻き込んでしまっていた」と言い、「3人は泡の下に潜ろうとしたが、できなかった。3人は火に包まれていた」と語っている。

■ その日に出動した消防士のスクールフィールドさんは、その惨事の近くにいたひとりだった。彼も負傷してしまうことになるが、後年、当時の状況をつぎのように語っている。
 「地上はあらゆる方向に展張されていた消防ホースで一杯でした。私たちは暖かい油の中を歩いていました。私たちの足元より24インチ(60cm)ほどの深さだったと思います。しかし、みんなは火災を制圧するんだと言っていました。私も信じていました。事故が起きたのは、午後3時30分頃です。私は赤十字社の車で休憩していたら、“消防士に火がついた”と叫ぶのを聞きました。すぐにその方向へ駆け出しました。そのとき、私は炎に包まれた3人の消防士を見ました。火のついた3人は走り回っていました。彼らは油の中に突っ込んでいき、沈んでいきました。私はどうすることもできませんでした。そのとき、背後からそこから早く引き返せと叫んでいる声を聞きました。振り向いて走り出したとき、泡の覆いが壊れて、炎が立ち上がり、私は火に包まれました。このとき、シモンズさんという男性が私をつかんで走り、私たちは抜け出すことができました」
 スクールフィールドさんは大やけどを負って病院に搬送され、火傷治療センターで2か月間過ごすことになった。その後、スクールフィールドさんは消防士として職場復帰することはできなかった。

■ 一方、その頃、製油所の火災は大火に発達していた。午後5時頃、消防長官は、休憩のために一旦は署に返した消防士を呼び戻さざるを得なかった。

■ 火災は製油所の東の方向へ拡大していた。このため、消防車が2台が被災し、製油所の消火剤ポンプも使えなくなっていた。これ以前にも、フィラデルフィア消防署の消防車2台がフラッシュファイヤーで壊されていた。

■ 製油所では、部分的に電力の供給が停止し、電話も通じない状態だった。一方、火災は高さ125フィート(38m)のペンローズ・アベニュー橋に向かって広がっていき、4基の貯蔵タンクが危険な状況になった。午後5時30分頃には、製油所の管理棟が火災に巻き込まれた。この日、フィラデルフィアでは、製紙工場で別な火災が起こっており、消防署の対応能力を超えていた。

■ 午後6時、消防長官は消火活動に関する指示を出すとともに、その日の日勤の消防士に居残るように指示した。橋の近くにあるボイラーの煙突には、火災時の爆発による大きな割れができていた。煙突が橋に倒れかかる恐れがあり、拡大する火災によって橋が壊れたり、強度の低下が懸念されたため、当局は橋を閉鎖した。

■ 午後7時、火災となったタンクと配管からは炎が噴出し続け、製油所内の道路でも油が流れながら燃えていた。この時点では、火災を止めることができないように思えた。実際、多くの道路ごとに緊急事態対応がとられ、火災となったタンクごとに緊急事態対応がとられていた。

■ 一晩を過ぎ、フィラデルフィア消防署は主要な戦いに打ち勝つ目処が立ったとし、8月18日(月)午前5時38分、火災を制圧下に入れたと報告した。最初に火の出たタンクNo.231の火災は燃え尽きさせる方法をとる判断がされた。現場では、その週も、ぽっと燃え出すような状況が続いた。フィラデルフィア消防署は、消火後の再燃に対応する製油所の自衛消防隊を支援するために少なくとも4回出動した。

■ 最終的に、火災は一週間後の8月26日(火)に鎮火宣言が発表された。
 一方、当該事故がガルフ・オイル社フィラデルフィア製油所における最初の火災ではない。1960年以降、フィラデルフィア製油所では10回の火災が起きている。1975年5月16日に火災事故が起こっており、1975年8月の大火災の後、1975年10月20日にも火災が起こっている。
(写真はPilly.comから引用)
被 害
■ 事故によって22名の死傷者が出た。
 発災のあった日に6名の消防士が命を失った。さらに、その後、重度の火傷を負った2名の消防士が亡くなった。このほか、少なくとも14名が負傷して病院で治療を受けた。

■ 複数の貯蔵タンクが焼損した。少なくとも6基のタンクが被災している。このほか、タンクまわりの配管や製油所の管理棟が被災している。また、消防車にも4台以上の損害が出ている。
 
< 事故の原因 >
■ 火災発生の最初の要因は原油用の貯蔵タンクNo.231の過充填だった。タンク過充填の原因は、タンカー乗員がタンク内へ移送する原油の量をきちんと監視していなかったためである。
 
■ 原油が荷揚げされた大型貯蔵タンク内の上部には、大量の炭化水素ベーパーが溜まっていた。タンク内に入る原油の量が増え、タンクから油が流出することはなかったが、タンク内に溜まった炭化水素ベーパーがタンクベントから押し出され、ボイラー室のエリアに流れていった。この後、引火して最初の爆発と火災が起った。引火源は特定できなかった。
 なお、供給していたタンカーは移送を終了して、スクールキル川の桟橋を離れ、ホグ島の埠頭に移動している。

< 対 応 >
■ 火災の対応のため出動し、消火活動に携わった消防士は約600名だった。

■ 1975年のガルフ・オイル製油所火災事故は、フィラデルフィア市にとって記憶にとどめる日となっている。特に、フィラデルフィア消防関係者で火災によって亡くなった人の家族や友人にとって忘れられない日である。2007年8月、フィラデルフィアのファイアマン・ホール・ミュージアムに約200人が集まり、事故で命を失った消防隊員に敬意を表する追悼碑の除幕式が行われた。 
ペンローズ・アベニュー橋から見たタンク火災
(写真はPophistorydig.com から引用)
タンク火災の消火のために配備された消防車と消防隊員
(写真はPophistorydig.com から引用)
タンク火災の消火活動に従事する人たち
(写真はPophistorydig.com から引用)
(写真はHiddencity.orgから引用)
補 足
■ 「ペンシルバニア州」(Pennsylvania)は、米国北東部に位置し、人口約1,280万人の州である。
 「フィラデルフィア」(Philadelphia)はペンシルバニア州南東部のフィラデルフィア郡にあり、人口約156万人の州都である。
    ペンシルバニア州の位置   (図はNizm.co.jpから引用)
■ 「ガルフ・オイル社」(Gulf Oil Co.)は、1901年に設立された石油会社を発祥とし、セブン・シスターズのひとつとして発展した。1970年頃の全盛時期を経て、1984年にスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(SOCAL)と合併し、シェブロンと改名した。
 フィラデルフィア製油所は1904年に創業され、1975年当時は米国で最大の製油所にひとつとして操業されていた。現在は、335,000バレル/日の精製能力でカーライル・グループのフィラデルフィア・エナージー・ソリューションズ社によって経営されている。グーグルマップで見ると、火災事故のあったエリア付近のタンクは多くが撤去されている。しかし、橋の近くに使われていない煙突が今もみられる。
現在のフィラデルフィア製油所における1975年火災事故のあったエリア付近
(写真はGoogleMapから引用)
現在のフィラデルフィア製油所と残されている煙突
(写真はGoogleMapから引用)
所 感
■ 事故の原因はタンクの過充填であるという。事故の経緯や要因は異なるが、タンクの過充填を引き金に大災害となった事例としては、2005年12月の「英国バンスフィールド油槽所タンク火災」や2009年10月の「カリビアン石油タンクターミナルの爆発・火災」と同じである。まさに、事故は繰り返えされると感じる。


■ 消火活動中の消防士8名が亡くなるという極めて稀な事例である。製油所の排水系統が排水を吐け切らず、流出していた油と消火排水が現場から抜けずに溜まり、軽い油が水の上に浮き、消火泡が途切れた部分で火が付いたとみられる。石油産業の最先端を走っている米国では、事故の分野でも思ってもみなかったような経験をしていると感じる事例である。  

備 考
本情報はつぎのインターネット情報に基づいてまとめたものである。
    ・Pophistorydig.com, “Burning Philadelphia”,  Refinery Inferno: 1975,  February  15,  2015
    ・Gendisasters.com,  Philadelphia, PA Refinery Fire, Aug 1975,  August  18,  1975
    ・Firehouse.com,  Remembering the Gulf Oil Refinery Fire,  December  03,  2015
    ・Philly.com ,  Ceremony    marks 1975 Gulf Oil Refinery blaze that  killed Eight Firefighters,  August  17,  2015
    ・En.wikipedia.org, 1975 Philadelphia Gulf Refinery Fire,  March 27,  2017


後 記: 最近、貯蔵タンクの事故情報を聞きません。実際に事故が起こっていなければよいのですが、そうなのかどうかははっきりしません。これまで産業事故の情報を伝えていたインターネット情報源のひとつが無くなり、アンテナが狭くなっています。この種の情報をキャッチしずらくなっています。
 さらに、公的な機関では、このブログでも多くの事例を紹介したフランス環境省のARIA(事故の分析・研究・情報)がすでに活動を停止していますし、最近では、米国の軍事予算増大のあおりでCSB(米国化学物質安全性委員会)が閉鎖されようとしています。事例情報の分析や公表を行わない世の中になっていくことを懸念しています。